ハネムーン前半、個人手配で2泊3日フランスのパリに滞在し、フランス革命記念日、日本ではパリ祭と呼ばれるイベントに参加しました。この記事ではその際の様子を写真とともに紹介したいと思います。
その前がフランスのニースを拠点に南フランスを巡っていたのでパリへは鉄道を利用して移動しました。現地ホテルや主要な観光地では英語も通じるので、言語が通じないということはほとんどなかったように思います。
その前に滞在していた南フランスに興味がある方はこちらの記事を参照ください。
その他フランスの情報はモデルコースの記事がありますので興味がある方はぜひご覧ください。
フランス革命記念日を現地で生体験
フランス革命記念日(パリ祭)とは
フランス革命記念日(Fête de la Fédération)は、1789年7月14日に起こったバスティーユ牢獄襲撃を記念するフランスの国民的な祝日です。この日はフランス革命の象徴として、国民統一と共和制の理念を祝う日とされています。最初の祭典は1789年のバスティーユ襲撃から1年後の1790年7月14日にパリで行われ、国民が一致団結して革命の成功を祝った記念日です。現在でもフランス全土でパレードや花火が行われ、国民の団結と共和国の価値観を称える重要な日とされています。

バスティーユ牢獄襲撃について
フランス革命のきっかけとなった重要な事件です。1789年7月14日、パリのバスティーユ牢獄はフランス国内での不満と反乱の象徴と見なされていました。牢獄は王権の象徴であり、政治犯や反政府活動家が収監されていた場所でもありました。
当時、パリでは経済的不況や政治的不満が高まっており、国民は王権に対する不信感を募らせていました。特に国王ルイ16世の絶対主義的な政策や財政難が深刻化していたことが、不満の火種となっていました。
7月14日、パリ市民はバスティーユ牢獄を攻撃し、牢獄の解放と武器の確保を目指しました。この襲撃は最初は暴動として始まりましたが、後に革命のシンボルとして国民の団結を象徴する出来事とされ、フランス革命の始まりと見なされています。
バスティーユ牢獄襲撃の成功は、国民が王権に対する不満を表明し、その後の革命運動を加速させる重要な役割を果たしました。

1日目:ニースからパリへ移動
1日目の流れ
ニース(フランス)からパリ(フランス)へ
ニースからパリへ鉄道で移動 7:57発
パリに 13:50到着
(ホテルチェックインで彷徨う)
ホテルに 17:15到着 Bridgestreet Le Maraisにチェックイン
22:30-23:30 パリ祭
24:00 ホテル帰宅
パリ移動前はニースに滞在していました。ニースからは電車で移動しました。詳細は南フランスの記事に詳しくまとめていますので興味のある方は是非参考ください。
Bridgestreet Le Marais
今回宿泊はパリ1区中心部のBridgestreet Le Maraisに滞在をしました。ルーブル美術館まで徒歩圏、近くにスーパーもあり立地は最高でした。今回パリ祭を現地体験する目的もあったため中心部へのアクセスと予算面から選びました。
ホテルではなく無人施設で鍵の受け取りなども全てセルフになる施設でした。キッチンや冷蔵庫などもあり、現地で暮らすように生活できる、民泊に抵抗のない方はとてもおすすめです。
ただしGoogleMapに現地地図がヒットしないこと、鍵の受け取りについてAgodaのメッセージでやり取りをする必要があり口コミでも同様の意見があったのでチェックインまでの難易度が高い施設かと思います。
当初Agodaのメッセージ内に記載されていた住所へ鍵の受け取りに行きましたがそのような施設はなく、口コミに書いてあった住所に行っても鍵を受け取ることはできず、大きい荷物を持ったまま右往左往して3箇所目でやっと宿泊施設に到着し部屋に入ることができました。立地はとても良く申し分ないですが、入室時の鍵の受け取りだけは注意が必要な施設です。








住所※GoogleMapで施設名称ではヒットしません
パリ祭現地体験記
パリ祭(Fête de la Fédération)では、通常、パレードや花火などの多彩なイベントが行われます。特に有名なのは、シャンゼリゼ通りやエッフェル塔周辺での大規模な花火ショーです。これに加えて、音楽イベントやストリートパフォーマンスなども行われ、パリ全体が祝祭の雰囲気に包まれます。
私たちは夕飯をホテルで自炊して済ませ、パリ祭、夜に打ち上がる花火を現地で体験したいと思い22:15頃ホテルからエッフェル塔方面に向かい徒歩で移動します。
街はお祭り気分といった感じで音楽が流れていたり、人通りが多く、特に花火が打ち上がる前は一斉にエッフェル塔方面に向かって移動するので道路がとても混雑しています。エッフェル塔に近づくにつれて人の大行列で移動ができなくなります。
私たちはエッフェル塔まで辿り着くことができませんでしたが、途中近くの橋の上から花火イベントを見ることができました。普段パリで味わうことのできないお祭りのような雰囲気で貴重な体験でした。
普段のパリ以上に大混雑するためスリや盗難などには特に気をつけるように注意してください。






2日目:パリ市街地を散策
2日目の流れ
パリ市街地散策 終日
2日目は南フランスからの移動で疲労していたこともあり、また、主要な観光地は前半のパリ滞在時に終えていたのでゆっくりとパリ市街地を散策することにしました。天気がとても良かったのでセーヌ川沿いを歩いてエッフェル塔をみたりゆっくりとした時間を過ごしました。また散策の途中でダイアナ妃が事故で亡くなった事故現場を通りました。当時ニュースで知り、衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか。


ダイアナ妃事故現場
1997年8月31日、パリでダイアナ妃(イギリスの元王妃)が交通事故に巻き込まれ、その場で死亡しました。事故はパリのトンネルで発生し、ダイアナ妃と彼女の恋人であったエジプト系の実業家、ドディ・アル・ファイドとともに乗っていた車が高速で衝突した後、横転してしまいました。
現場近くの自由の炎のモニュメントには今も献花が絶えないそうです。


最終日:パリからロンドンへ移動
最終日の流れ
パリからロンドンへ電車移動 8:13発-9:30着
最終日はロンドンへ移動する予定だったので、朝早い電車でロンドンへ移動しました。
パリからロンドンへはユーロスターという大陸間鉄道で移動できます。詳しくはこちらの記事でロンドンまたユーロスターについて書いていますので興味のある方はぜひご覧ください。チケットは私たちは多用していたSNCF(フランス国有鉄道)のアプリから予約をしました。公式サイトもありますのでいずれかを使って事前予約しておくと良いでしょう。
ユーロスターについて
ドーバー海峡トンネルを通る高速鉄道ユーロスターはヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ高速鉄道の国際列車サービスです。1994年11月14日に開業し、当初はパリ・ガール・デュ・ノール駅とロンドン・ウォータールー駅を結んでいました。その後、2007年にチャンネルトンネルを通る新しい高速路線(ハイ・スピード1)が開通し、セント・パンクラス駅を経由する経路に変更されました。
ユーロスターは、パリやブリュッセル、アムステルダムなどのヨーロッパの主要都市とロンドンを直接結ぶ高速鉄道であり、便利で迅速な移動手段として多くの旅行者に利用されています。

SNCFについて
SNCFは 高速鉄道TGVなどを運行するフランス国有鉄道会社です。フランス国内はもちろん、ユーロ圏で鉄道移動をする際に使う機会が多かったのと、英語が苦でなければチケットなどもアプリで提示できるなどとても使いやすく便利だったのでフランスやそのほかEU圏で鉄道利用を検討されている方はぜひ使ってみてください。


パリの花火、綺麗だったね❤️

のんびり暮らすように過ごすことができたパリはいい経験だったね❤️
ぽぽぽ❤️
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